- 公開日:2025.05.28
- 更新日:2025.05.28
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【憲法入門14】集会の自由② 集団行動と公安条例について解説

目次

この記事を読んで理解できること
- 集団行動の自由
- 新潟県公安条例と「明らかな差し迫った危険」
- 東京都公安条例と「集団暴徒化論」
- 徳島市公安条例と「明確性の原則」
この記事は、
- 集団行動の自由について知りたい
- 集団行動と公安条例の関係を知りたい
- 公安条例についての判例を知りたい
といった方におすすめです。
デモ行進などの集団行動は、現在でもニュースなどで見かけることがありますね。
そして、現在も各都道府県に公安条例が存在し、集団行動を規制しています。
このように、集団行動と公安条例は昔の話ではなく現代でも問題となり得るものです。
実際に、司法試験では集団行動の自由について何度も出題されています。
そこで、今回の記事では、
第1章 集団行動の自由の保障根拠と制約根拠
第2章 新潟県公安条例と「明らかな差し迫った危険」
第3章 東京都公安条例と「集団暴徒化論」
第4章 徳島市公安条例と「明確性の原則」
について解説します。
基礎知識をわかりやすく簡潔に説明しますので、初学者の方はもちろん、憲法をひと通り学んだ方のまとめ用にも最適です。
第1章 集団行動の自由
集団行動とは、デモ行進など、集団で移動を伴い表現活動を行うことです。
この章では、集団行動の自由が、憲法上どのような権利として保障され、法令上どのように制限されているのかを解説します。
1-1 保障根拠
まずは条文を読んでみましょう。
憲法
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
②(略)
集団行動の自由は憲法に明記されていませんが、集会の自由あるいは表現の自由として保障されると解釈されています。
多数人が共通の目的をもって集まるという点では集会の自由の性質があり、対外的に意見の表明をするという点では表現の自由としての性質があるからです。
どちらも憲法21条1項が適用されるので特に結論が変わるわけではありませんが、一般的な基本書では、集団行動の自由は集会の自由の章で解説されていることが多いです。
集団行動は一定の場所を利用して行うものであり、他の利用者との調整が必要になることは集会の自由と共通する問題といえます。
なお、最高裁は、以下のとおり集団行動の自由を表現の自由として位置づけています。
- 東京都公安条例事件(最判昭和35年7月20日)
「およそ集団行動は、学生、生徒等の遠足、修学旅行等および、冠婚葬祭等の行事をのぞいては、通常一般大衆に訴えんとする、政治、経済、労働、世界観等に関する何等かの思想、主張、感情等の表現を内包するものである。この点において集団行動には、表現の自由として憲法によつて保障さるべき要素が存在することはもちろんである。」
もっとも、この判例では「集会の自由か表現の自由か」が争われたわけではないので、「集会の自由として保障されることが最高裁で否定された」とまではいえないと考えられます。
1-2 制約根拠
では、集団行動の自由は、どのような根拠で制約されるのでしょうか。
まず代表的なものとしては、道路交通法が挙げられます。
道路で集団行動を行う以上、交通上の危険を防止するための規制は当然ながら適用されます。
もう一つの制約根拠としては、地方公共団体による公安条例が挙げられます。
公安条例とは、国民の集団行動を取り締まる目的で制定された条例です。
次章から、公安条例の合憲性が争われた最高裁判例について解説していきます。
第2章 新潟県公安条例と「明らかな差し迫った危険」
1つ目の判例は、新潟県公安条例事件(最判昭和29年11月24日)です。
この事件では、公安委員会の許可を受けずに集団行動を行ってはならないとする条例の合憲性が問題となりました。
- 新潟県公安条例事件(最判昭和29年11月24日)
「行列行進又は公衆の集団示威運動(以下単にこれらの行動という)は、公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらないかぎり、本来国民の自由とするところであるから、条例においてこれらの行動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなく一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは、憲法の趣旨に反し許されないと解するを相当とする。しかしこれらの行動といえども公共の秩序を保持し、又は公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定の場所又は方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、予じめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめてこのような場合にはこれを禁止することができる旨の規定を条例に設けても、これをもって直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に制限するものと解することはできない。けだしかかる条例の規定は、なんらこれらの行動を一般に制限するのでなく、前示の観点から単に特定の場所又は方法について制限する場合があることを認めるに過ぎないからである。さらにまた、これらの行動について公共の安全に対し明らかな差迫った危険を及ぼすことが予見されるときは、これを許可せず又は禁止することができる旨の規定を設けることも、これをもって直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に制限することにはならないと解すべきである。」
最高裁は、届出制ではなく許可制を定めて集団行動の自由を事前に抑制することは、憲法の趣旨に反し許されないとしています。
(届出制と許可制の違い)
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もっとも、本件条例については、
- 特定の場所又は方法について制限する場合があることを認めるに過ぎない
- 公共の安全に対し明らかな差迫った危険を及ぼすことが予見されるときに禁止することができる旨を定めている
という理由から合憲であると結論づけました。
「明らかな差迫った危険」という文言は、どこかで聞いたことがあるという人もいるかもしれません。
実は、前回の記事で紹介した泉佐野市民会館事件(最判平成7年3月7日)でも、「明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されること」という表現が用いられています。
【憲法入門13】集会の自由① 公共施設とパブリックフォーラムについて徹底解説
「明らかな差し迫った危険」の基準は泉佐野市民会館事件が有名ですが、実は新潟県公安条例事件が元祖なのです。
第3章 東京都公安条例と「集団暴徒化論」
2つめの判例は、東京都公安条例事件(最判昭和35年7月20日)です。
この事件では、集団行動に公安委員会の許可が必要とされ、「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」は不許可となる条例の合憲性が争われました。
- 東京都公安条例事件(最判昭和35年7月20日)
「集団行動による思想等の表現は、単なる言論、出版等によるものとはことなつて、現在する多数人の集合体自体の力、つまり潜在する一種の物理的力によつて支持されていることを特徴とする。かような潜在的な力は、あるいは予定された計画に従い、あるいは突発的に内外からの刺激、せん動等によつてきわめて容易に動員され得る性質のものである。この場合に平穏静粛な集団であつても、時に昂奮、激昂の渦中に巻きこまれ、甚だしい場合には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によつて法と秩序を蹂躪し、集団行動の指揮者はもちろん警察力を以てしても如何ともし得ないような事態に発展する危険が存在すること、群集心理の法則と現実の経験に徴して明らかである。」
最高裁は、暴力的な行動をする意図で集まったわけではない集団についても、群集心理によって暴徒と化す危険があることを理由に条例を合憲としました。
このような考え方を「集団暴徒化論」といいます。
集団暴徒化論は、学説上はあまりにも極論であるとして強く批判されています。
第4章 徳島市公安条例と「明確性の原則」
3つめの判例は、徳島市公安条例事件(最判昭和50年9月10日)です。
この事件では、道路使用の条件として「交通秩序を維持すること」という規定が不明確で違憲ではないかが問題となりました。
- 徳島市公安条例事件(最判昭和50年9月10日)
「ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである。」
「本条例三条三号の規定は、確かにその文言が抽象的であるとのそしりを免れないとはいえ、集団行進等における道路交通の秩序遵守についての基準を読みとることが可能であり、犯罪構成要件の内容をなすものとして明確性を欠き憲法三一条に違反するものとはいえない」
最高裁で言及されている憲法31条を読んでみましょう。
憲法
第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
憲法31条は刑罰の適正手続について定めた条文ですが、刑事手続だけでなく刑罰法規も適正であることが必要です。
そして、刑罰法規の内容が不明確である場合、公権力が恣意的に濫用されるおそれがあり、国民はどんな行為が禁止されるのかがわからず萎縮してしまうため、違憲となります。
もっとも、刑罰法規は特定の事案ではなく様々な場合に適用されることを想定して作られているので、その内容は多かれ少なかれ抽象的な側面があります。
そのため、内容が抽象的であれば直ちに違憲となるわけではなく、一般人が具体的場合に適用を受けるかどうかの基準を読み取ることができればよいとしました。
そして、「交通秩序を維持すること」という規定は明確性を欠くものではないと結論づけています。
第5章 まとめ
■第1章まとめ
集団行動とは、デモ行進など、集団で移動しながら表現活動を行うことであり、憲法21条1項により集会の自由又は表現の自由として保障されます。
集団行動の自由に対する制約としては、道路交通法のほか、地方公共団体の公安条例が挙げられます。
■第2章まとめ
新潟県公安条例事件(最判昭和29年11月24日)は、公安委員会の許可を受けずに集団行動を行ってはならないとする条例の合憲性が問題となりました。
最高裁は、届出制ではなく許可制を定めて集団行動の自由を事前に抑制することは許されないとしつつ、
- 特定の場所又は方法について制限する場合があることを認めるに過ぎない
- 公共の安全に対し明らかな差迫った危険を及ぼすことが予見されるときに禁止することができる旨を定めている
という理由から合憲であると結論づけました(「明らかな差し迫った危険」の基準)。
■第3章まとめ
東京都公安条例事件(最判昭和35年7月20日)は、集団行動に公安委員会の許可が必要とされ、「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」は不許可となる条例の合憲性が争われました。
最高裁は、平穏な集団でも群集心理により暴徒と化す危険があるという「集団暴徒化論」を理由に合憲と結論づけました。
■第4章まとめ
徳島市公安条例事件(最判昭和50年9月10日)は、道路使用の条件として「交通秩序を維持すること」という規定が不明確で違憲ではないかが問題となりました。
最高裁は、刑罰法規の内容が抽象的であれば直ちに憲法31条に反するわけではなく、一般人が具体的場合に適用を受けるかどうかの基準を読み取ることができればよいとしました。
この記事では、初学者の方にもわかりやすいように、一般的な考え方をざっくりと解説しています。
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